願望が叶うというのは本当のことだなと思う。
良いこと、悪いこと、そんなこと関係なしに、ただ深く願って望んでいることが淡々と叶っていくこの世界。少し憎らしくも思う。
もうちょっと、表層的に思ってることぐらい実現させてくれてもいいのに。
でもそんなことは許さないぞと、この世界は深層に眠る想いを次々と目の前に出してきては「これがお前の求めたことだろ?」と得意げな顔だ。
2020年は「コロナ」というキーワード一色で終わってしまいそうだけれど、改めて思うのは、コロナだろうが何だろうが、目の前の現実は自分が望んだことなんだな、ということでしかなかった。
39歳、はじまりのメッセージ

最近のいちばんホットなニュースから少しお話を始めてみよう。
実はいま、懲りずにまたコミュニティのようなものを作っている。色々試してみて、コミュニティ作りが自分には向いていないということはもうわかってる。いや、試さなくてももう本当は知っていた。
そこに「ナニカ」がなければ関係を途切れさせてしまう私は、3度目の正直か4度目の正直か、それ以上なのかもよくわからないが、再びチャレンジしている。
だから私は、実務を伴うライターコミュニティを作ってみた。
もう知識やスキルを教えるのは懲り懲りだと思っていた。だからそういう場所にはしないことにした。すぐに動けて、すぐに実務というつながりで関係性を育める場所。
「オウンドメディア」の準備が始まっている。
その昔、まだ20歳かそれぐらいの頃、田舎から渋谷に足を運び、街行く若者に「あなたの夢は何ですか?」と尋ね、キャンバスに大きくその夢を書いてもらい、スナップ写真を撮影して、そしてまた次の人へ声をかける──みたいなことをしたことがある。
まだWebメディアも黎明期だったので、ボロボロのマッキントッシュに入ったPhotoshop6.0 かそのあたりのソフトを使って、小冊子作りをしていた。確か海外でライターをするためのポートフォリオ作りの一環だったような記憶がある。
まあ昔話はさておき、いま私は、39歳にしてあの頃と同じように、自分が旗振り役となって推進するメディア作りを始めた。
ちゃんとしたリリースを出すまでは、この活動も、どんなメディアなのかも、本当はまだ秘密にしておきたかったけど、せっかくの誕生日だし、ちょっとぐらいはいいかと書いてみた。
もう教えない、もう書かない

ところで、40歳を目前としたこの年齢になってみて思うのは、もう教えない、もう書かない、みたいなことだ。
何を天狗になって自分は起業コンサルだなんて名乗っていたのだろうと、数年前の自分を不思議に思う感覚が今はある。
実力や経験云々ではなく、あの頃はそうだったのだと思う。教えることを通して、自分の知識収集と体系化の強みを生かして、講師やコンサルとしての貢献がしたかった。
ただ今は、「事業」をしたいのだと心の奥底で声が聞こえるし、ここにきてようやく「経営」に少し興味が出てきたのだと思う。
この前も気づいたらGoodpatchさんの新規上場申請のための有価証券報告書Ⅰの部を読んでいたりして、少しだけ見える世界が変わってきた気がする。
そうそう、これは昔からの構想でもあった。
いくらSNSブームだったからといって、本当にだれでもゼロから個人事業の立ち上げがうまくいくわけじゃない。2015年に独立してうまくいったのは、その前の3年間で現場を体験したからだ。
小さな英語教室で、年商2,000万円ぐらいだったろうか、毎日生徒を集める方法やセミナー展開して全国に広げる方法、オンラインや動画を使って販売する方法やオリジナルテキストの制作などもやっていた。
こういうOJT的なことがなければ、稼ぐスキルなんて身につかなかった。
だから私は起業コンサルなんて名乗りながらも気づいていた。これは知識や整理じゃなくて、とにかく実践しなきゃわからないもんだって。インターンでも何でも現場で動かなきゃダメだと知っていた。
運営中のこのライターコミュニティは、みんなで取材依頼書を作って、それを勇気を出してメールで送ってアポを取って取材・執筆するような、まるで青春時代みたいなことをやってる。すごく楽しい。
本当は謝礼を払うべきなのかもしれないけれど、協力してくれているライターさんたちにはプロボノ(無償の立場)でかかわってもらっている。
その背景というか狙いには、私がこれまで培ってきたライティングの技術を研修やOJTで「教える」ことでお金ではない報酬を作っているのと、すごい人たちに会える体験、原稿にクレジットとして名前を掲載していく権利などで代替している。
なにより、自分は「青春」を心の底で願っていたことにも気づいていた。本当に楽しい刹那を味わうには、お金を間に入れないほうがいいと思ってる。オリンピックのアスリート的というか。
きっと原稿料としてライターさんからお金をいただくと、そこには納期であったり、どんな取材相手であっても一定のクオリティの記事をつくることの確約など、本当に「プロ」を要求してしまうと思う。
それがいいこともあるけれど、本当に会いたい人に会って、自分を切磋琢磨して、自分が心地よいと思える記事をつくるためには、あえて「お金」を間に入れないほうがいい気がしていた。
これは私自身がそうで。お金をもらってしまうと、心からの貢献がしづらくなってしまう。それはきっと、無償でかかわって恩を売ることがもたらす計り知れない恵がなにかを知っているからだと思う。笑
だから言い換えれば、私はいま多くの方々に恩を売られている状態ともいえるわけで、とことん恩返ししていかなければいけない。でも、青春をしたい私にとってはそれがすごく心地いい。
オンラインサロンみたいにお金をもらいながら、サロンメンバーを働かせるスタイルはさすがにできないと思ったし、謝礼を払いながら教育をするほど正直自分に余裕もない。そういう経済的な理由があったのも事実。
だから今もこれはプロトタイプだと思ってる。
1記事目は無償のプロボノ的に、2記事目で5,000円、5記事目ぐらいで記事単価20,000円とか、そういう段階的なものも導入するかもしれない。そのあたりも本当に現場のフィードバックをもらいながら進化させていきたい。
幸い、ほんとうに素敵な人たちに集まってもらえてる。
このメディアが育って、文筆業のプロとして少しお金を稼いでみたい人が現れたら、自社で編集プロダクション的な機能を持たせて、どんどん営業して、さまざまなメディアでソレナのライターが活躍してる状況が作れても面白いと思う。
私はもう、年間に10本ぐらいかければ十分で、きっとどんどん書く体力も落ちる。数の量産ではなく質の向上をしたいし、それ以上にライターギルドのような循環のなかで経営の立場にある状態で「働き方」をまわりに還元していきたいとも思ってる。
起業塾行ったりコンサル受けたりするんじゃなくて、うちで実務しながら学んで、それから自分のやりたいことやったらいいじゃん、ってなんか言ってみたい。私もそういう場所で育ててもらって、いまがある。
39歳のラストメッセージ

この海の景色、いいなって思ってる。
無料素材の写真なんだけど、たぶん瀬戸内海だと思う(たぶん)。こういう「青」がある生活をしてみたいなって、いまは思ってる。
また来年、40歳を迎える同じような季節に、39歳のラストメッセージをこんな風に気持ちよく話せていたらいいなって思う。
「1年前には知ることもなかった、こんなにたくさんの方々とかかわり合いながら事業をつくれるとは思ってもみなかった!ありがとう!」
…ということで、今日のお話はここまで。
この続きの物語は、あなたと一緒につくりあげていくナラティブの世界。想いを込めた手紙をこちらから、不定期だけど、送ります。
私と一緒の世界の物語に、ちょっと足を運んでみませんか。それでは、あたらしい未来に向けて、おやすみなさい。
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